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件名 | : 焔色と月影色 |
投稿日 | : 2024/11/24(Sun) 07:39 |
投稿者 | : 桂 |
参照先 | : |
下校時刻のノブリス校。いつかの同窓生が早足で滑るように訪れるなり、控えめに声をかけてきた。
「ほ、焔君。その……お兄さんがお見えだよ。……『月影』って、名乗ってるみたいなんだけど」
その言葉に焔は目を丸くした。同窓生は挙動不審に瞳をうろつかせて、こっそりと声を添えてくる。眉尻をさげて。
「衛兵さんは付いているみたいだけど。どうする? ……僕も、ついていこうか?」
その言葉に焔はさらに目を瞬かせた後に小さく笑い、首を振った。
どうやら、この同窓は自身が行方不明になったことについて責任を感じているようだ。
だが、そんな事は気にする必要ない。あの時にノブリスを出ていくこと――この場所と友らを守ることを選んだのは自分なのだから。
ぽん、と肩に手を置くなり、「大丈夫」と告げていた。
「行ってくるよ。お礼は新作スイーツ……2品でどう? リクエストも受けちゃう」
「……っ、……焔君」
「心配要らないよ。たぶんだけどね、兄貴も話しに来ただけだ。行ってくる」
そう言って、なおも同窓の肩をたたくと、焔は彼とすれ違っていく。
緊張している風でもない、どころか少しだけ晴れやかそうな横顔ですれ違っていく焔の様子に、やや肩の力がぬけた同窓は。
少しをおいて、「いってらっしゃい、焔君」と小さく手を振ったのである。
エントランスホールに入ると、ラフな服装に身を包んだ二十代中ごろの男性が、焔を待っていた。焔を見るなり、片手を上げてくる。
何気に久しぶりに見る素顔である。月影は基本的に四六時中、頭巾を被っていたから。おもわずしげしげと見てしまうと、ややあって後に苦笑をまじえてきた。
「なんだ、然様に見てきて。穴が開いてしまうよ」
「いや……久々に見れたな、と思って、顔」
その言葉におもわずと瞠目した後に、じわりと滲ませるような微かな笑みとなる月影であった。
「そうだったな」
「うん。場所移動してもいい?……この間と同じところとか」
「うん」
頷き返す月影の顔は、やはり終始穏やかであった。
二人して――厳密には、少し距離をおいたところに監視の衛兵がついているものの――連れ立って、臨海公園へと居を移していく。
焔が足を止めたのは、やはり『青い桜広場』であった。その一角、木の葉もめっきり少なくなった青桜の下で足を止める。
本格的に冬の冷たさを帯びた潮風に髪や頬をなぶられる。「さむっ」と身を縮めると、おもむろに着ていた上着を脱ぎだしされたのでおもわず止めた。
「過保護に磨きがかかってんじゃないの、兄貴」
「そうかな。……こんなものだったような気がしなくもないが」
身繕いを整える月影に、逆に苦笑を滲ませる焔だ。
つまり、自分は本当にそんな――稚い幼子のように思われ、その愛を当たり前のように享受していたんだな、という自覚であった。
これなら、いつか話を聞いてもらえなかったのも、ある意味、納得の事象である。
と、そんなことをつらつら考えていると、月影の視線が移ろった。伏し目がちになり、言葉を選んでいる風であった。
あえて焔は口を挟まずに、兄のなかで言葉が熟すのを待った。
やがて月影は口を開いた。
「……悪かったよ、あの時は。……必死に、懸命に話をしようとしてきたにも関わらず、耳を傾けずに切り捨ててしまい」
「……うん」
「今回の騒動の、共有ノートを、お前も読んでいるのなら知っていると思うが。……また置いてけぼりにされるような気がして……怖かったんだ。お前が……俺の知らない遠くへ行ってしまうようでな」
瞳を逸らすまま、海を見やりつつ。そう告げる兄の姿はどこか小さく見えてしまった。別れる前は、あんなに大きく見えていた体が、今は歳相応のそれに見えていた。
おもわずと告げていた。
「俺はどこにも行かないよ、兄貴。ここにいるし、それに……いつまでも、兄貴の弟には変わりない」
その言葉にじわりと目を見開かせた後に、わななく唇を結んで、俯いて。
「……っ、すまなかった、椿鬼。いや、……『焔』」
その一言で十分だった。焔は笑い、ゆっくりと歩を踏んではその身を抱き締めにかかる。
「互いに……すごく遠回りしたね、兄貴」
かつては一つ違いだった兄。
それが自分は別れた時から一つ歳をとり、兄は――きっと十年近い年月が過ぎていた。
腕のなかの体は記憶のなかのそれより、ずっと大きくて。
でも。
「ずっと探してた。ずっと……会いたかったよ、兄貴」
「……っ、うん。……俺も」
震える腕が背に回ってきた。
縋りつくように抱いてくるので、ヨシヨシとその背を撫でさすりつつ――焔は、眉尻をさげて、笑みを形作ったのであった。目を閉じ、その温もりを感じた。
それからベンチに居を移して、二人は色んな話をした。
焔の近況はもちろんのこと過ごしてきた道のり、月影の近況ややはり過ごした道のり等。語ることは山ほどあった。時に俯きがちになる焔の背を擦り、時に言葉を詰まらせる月影にそっと寄り添い、背を叩いて。二人は少しずつ話を続けていった。
無論、この時間ですべて語り終えられるはずもなく。焔の仕事の時間が来て、タイムリミットとなった。だが、二人は互いに満足の微笑みをうかべていた。
「じゃあ、そろそろ行くよ、兄貴」
「うん。気張ってくるとよい、焔。……嗚呼、そうそう。あと、少しだけよいかな? ……考えておいてもらいたい事柄があるんだが」
「ん、なに?」
「俺の名前だ。……この都で生きていく上で、同じ名前が二つもあるのは如何にも不便であろう? それに……ガイーシャ殿や友が――ダチがな、言うてくれたもので」
「ああ……」
はにかむように笑う彼に、少しだけ考えこんで。……ほどなく、パッと焔は笑みをうかべた。
「桂(かつら)」
「ん……桂? それが俺の名前か」
「うん。桂は『桂花』……中国語で『金木犀』の意味を持つんだよ。それでね、中国には『月に生えている金木犀の樹』の伝説があるから」
「嗚呼……」
「ピッタリでしょ?」
「……うむ」
噛み締めるように頷く月影――桂の様子に、「それに」と悪戯っぽく焔は続けた。
「俺の名前と漢字の作りや響きも似てる」
「ぬ、……本当だ。お前、抜け目なくなったものよな」
おもわず目を丸める桂に、得たりと焔は歯を覗かせた。
「ノブリスの従者ですから。……じゃあね、兄貴。また」
ひらりと手を振る焔に、桂は――少しだけ伸ばしかけた手を、けれど、横に振る形に変えた。
穏やかな微笑みで、歩きだす弟の背を、見送ったのであった。
「ほ、焔君。その……お兄さんがお見えだよ。……『月影』って、名乗ってるみたいなんだけど」
その言葉に焔は目を丸くした。同窓生は挙動不審に瞳をうろつかせて、こっそりと声を添えてくる。眉尻をさげて。
「衛兵さんは付いているみたいだけど。どうする? ……僕も、ついていこうか?」
その言葉に焔はさらに目を瞬かせた後に小さく笑い、首を振った。
どうやら、この同窓は自身が行方不明になったことについて責任を感じているようだ。
だが、そんな事は気にする必要ない。あの時にノブリスを出ていくこと――この場所と友らを守ることを選んだのは自分なのだから。
ぽん、と肩に手を置くなり、「大丈夫」と告げていた。
「行ってくるよ。お礼は新作スイーツ……2品でどう? リクエストも受けちゃう」
「……っ、……焔君」
「心配要らないよ。たぶんだけどね、兄貴も話しに来ただけだ。行ってくる」
そう言って、なおも同窓の肩をたたくと、焔は彼とすれ違っていく。
緊張している風でもない、どころか少しだけ晴れやかそうな横顔ですれ違っていく焔の様子に、やや肩の力がぬけた同窓は。
少しをおいて、「いってらっしゃい、焔君」と小さく手を振ったのである。
エントランスホールに入ると、ラフな服装に身を包んだ二十代中ごろの男性が、焔を待っていた。焔を見るなり、片手を上げてくる。
何気に久しぶりに見る素顔である。月影は基本的に四六時中、頭巾を被っていたから。おもわずしげしげと見てしまうと、ややあって後に苦笑をまじえてきた。
「なんだ、然様に見てきて。穴が開いてしまうよ」
「いや……久々に見れたな、と思って、顔」
その言葉におもわずと瞠目した後に、じわりと滲ませるような微かな笑みとなる月影であった。
「そうだったな」
「うん。場所移動してもいい?……この間と同じところとか」
「うん」
頷き返す月影の顔は、やはり終始穏やかであった。
二人して――厳密には、少し距離をおいたところに監視の衛兵がついているものの――連れ立って、臨海公園へと居を移していく。
焔が足を止めたのは、やはり『青い桜広場』であった。その一角、木の葉もめっきり少なくなった青桜の下で足を止める。
本格的に冬の冷たさを帯びた潮風に髪や頬をなぶられる。「さむっ」と身を縮めると、おもむろに着ていた上着を脱ぎだしされたのでおもわず止めた。
「過保護に磨きがかかってんじゃないの、兄貴」
「そうかな。……こんなものだったような気がしなくもないが」
身繕いを整える月影に、逆に苦笑を滲ませる焔だ。
つまり、自分は本当にそんな――稚い幼子のように思われ、その愛を当たり前のように享受していたんだな、という自覚であった。
これなら、いつか話を聞いてもらえなかったのも、ある意味、納得の事象である。
と、そんなことをつらつら考えていると、月影の視線が移ろった。伏し目がちになり、言葉を選んでいる風であった。
あえて焔は口を挟まずに、兄のなかで言葉が熟すのを待った。
やがて月影は口を開いた。
「……悪かったよ、あの時は。……必死に、懸命に話をしようとしてきたにも関わらず、耳を傾けずに切り捨ててしまい」
「……うん」
「今回の騒動の、共有ノートを、お前も読んでいるのなら知っていると思うが。……また置いてけぼりにされるような気がして……怖かったんだ。お前が……俺の知らない遠くへ行ってしまうようでな」
瞳を逸らすまま、海を見やりつつ。そう告げる兄の姿はどこか小さく見えてしまった。別れる前は、あんなに大きく見えていた体が、今は歳相応のそれに見えていた。
おもわずと告げていた。
「俺はどこにも行かないよ、兄貴。ここにいるし、それに……いつまでも、兄貴の弟には変わりない」
その言葉にじわりと目を見開かせた後に、わななく唇を結んで、俯いて。
「……っ、すまなかった、椿鬼。いや、……『焔』」
その一言で十分だった。焔は笑い、ゆっくりと歩を踏んではその身を抱き締めにかかる。
「互いに……すごく遠回りしたね、兄貴」
かつては一つ違いだった兄。
それが自分は別れた時から一つ歳をとり、兄は――きっと十年近い年月が過ぎていた。
腕のなかの体は記憶のなかのそれより、ずっと大きくて。
でも。
「ずっと探してた。ずっと……会いたかったよ、兄貴」
「……っ、うん。……俺も」
震える腕が背に回ってきた。
縋りつくように抱いてくるので、ヨシヨシとその背を撫でさすりつつ――焔は、眉尻をさげて、笑みを形作ったのであった。目を閉じ、その温もりを感じた。
それからベンチに居を移して、二人は色んな話をした。
焔の近況はもちろんのこと過ごしてきた道のり、月影の近況ややはり過ごした道のり等。語ることは山ほどあった。時に俯きがちになる焔の背を擦り、時に言葉を詰まらせる月影にそっと寄り添い、背を叩いて。二人は少しずつ話を続けていった。
無論、この時間ですべて語り終えられるはずもなく。焔の仕事の時間が来て、タイムリミットとなった。だが、二人は互いに満足の微笑みをうかべていた。
「じゃあ、そろそろ行くよ、兄貴」
「うん。気張ってくるとよい、焔。……嗚呼、そうそう。あと、少しだけよいかな? ……考えておいてもらいたい事柄があるんだが」
「ん、なに?」
「俺の名前だ。……この都で生きていく上で、同じ名前が二つもあるのは如何にも不便であろう? それに……ガイーシャ殿や友が――ダチがな、言うてくれたもので」
「ああ……」
はにかむように笑う彼に、少しだけ考えこんで。……ほどなく、パッと焔は笑みをうかべた。
「桂(かつら)」
「ん……桂? それが俺の名前か」
「うん。桂は『桂花』……中国語で『金木犀』の意味を持つんだよ。それでね、中国には『月に生えている金木犀の樹』の伝説があるから」
「嗚呼……」
「ピッタリでしょ?」
「……うむ」
噛み締めるように頷く月影――桂の様子に、「それに」と悪戯っぽく焔は続けた。
「俺の名前と漢字の作りや響きも似てる」
「ぬ、……本当だ。お前、抜け目なくなったものよな」
おもわず目を丸める桂に、得たりと焔は歯を覗かせた。
「ノブリスの従者ですから。……じゃあね、兄貴。また」
ひらりと手を振る焔に、桂は――少しだけ伸ばしかけた手を、けれど、横に振る形に変えた。
穏やかな微笑みで、歩きだす弟の背を、見送ったのであった。